私が朔日参りを欠かさず行うようになって2年近くになります。
それまで、神社を参るのは何かのついでという感覚で
近くに行く事があれば参拝する程度でした。
今では
毎月1日にかならず早朝に参拝し、
1か月間無事に過ごす事が出来た事のお礼と
これからの1か月間も頑張りますと
毎回神様に伝えています。
何故そうするようになったのか。
それは、人間関係と同じ事だと思うからです。
ある日突然やってきた人に
「お願いがあるんです!聞いて下さい」
と言われたら
どうします?
例えばそれが
「重い荷物が運べないので、あそこまで手伝ってください」 とか
「ここに行く道が分からないんです、教えて下さい」 とか
そういったものなら聞いてあげますよね。
でもそれが
「病気になったんです、治して下さい」 とか
「結婚相手を見つけて下さい」 とか
「幸せにして下さい」 とか
聞いてあげる事はできますか?
もしそれが知り合いなら
聞いてあげるかもしれませんよね。
でもそれが
年に1回だけ、
皆が行くから私も会いに来たわ
くらいの知り合いだったら
聞いてあげる事はできますか?
毎月、かならず同じ日にやって来て
「いつもありがとう」とか
「今月も笑顔で過ごそうね」とか
そう言って会いに来てくれる人だったら
その人が何か困っている時には
助けてあげよう
何とかしてあげようと
思うようになると思いませんか?
私の朔日参りは、そんな感覚なんです。
困った時にだけやって来て
「お願いします!」
なんて…
いくら神様でも
気分が良いものではないですよね。
なので、毎月の朔日参りの時には
お願い事は一切しません。
無事に過ごせる事へのお礼と
これから先、頑張りますという決意だけです。
とっても広くて
相手の姿もよく見えないくらいの距離で
間には障害物が沢山あるような場所で
「お~い!」と声をかけられても
その声がどこから聞こえてくるのか分からず
キョロキョロとしてしまします。
でも、その声が
毎回、決まった時刻に同じ方向から聞こえてくると
あ、こっちだな
と検討が付くようになります。
さらに
「〇〇に住んでる□□です!」
と付け加えてあると
さらに検討がつけやすいですね。
その声を聞き慣れてくると
あ、□□さんだな!
とすぐ分かるし
「お~い!」
が聞こえた瞬間に
は~い!
とその人を見て返事が出来る。
例えその「お~い!」が
とんでもない数であったとしても
たった1回しか聞こえてこない「お~い!」より
もう何十回と聞いている「お~い!」の方に
自然と耳は傾きますよね。
何百回、何千回と聞いていれば
それは、もう。
そう言う意味では
神職や僧侶の声が
神様や仏様に届きやすいのは
当然ですよね。
そう思うようになったから
普段から
同じ場所で毎月一日の早朝に
神様へ向けてお祈りしてます。
もちろん、
住所と名前もしっかりと心の中で唱えます。
数日前から
大切な友人のペットの具合が悪く
かなり深刻な状態と聞き
すぐにいつもの神社まで足を運びました。
そして
「友人とペットが一日でも長く一緒に過ごせますように
病気が治りますように」
とお願いして来ました。
帰りに病気平癒のお守りを買って
友人宅まで届けました。
きっと、神様に
私の声は届いていると信じています。
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